amachin2005-05-18


5月29日(日)、今年初めてとなる限界破滅GIGが開催される。
限界を始めたきっかけについて書いたテキストを、Looks like TomorrowというHPに載っけてもらってたんだけど、現在一時停止中のため、ここに再掲してみます。
長いんで興味のある人だけ読んでください。

  • 写真 MANIAC HIGH SENCE '98

限界破滅GIGことはじめ
【註】
・Sender & Reciever GIG Vol.1という’99/11/07に岡崎・食楽茶屋にて行われたライブの際に、ロカストツアー車がトラブった噂を聞きつけ、修理代の足しになればと急遽作ったZineに掲載した原稿。カンパしてくれた人にZineとパッチをプレゼントした。

・このライブは1回目のTHE LOCUST来日ツアーの岡崎公演の企画で、主に携わったのは一平ちゃん(現TEASI、OUT OF TOUCH)、ダイちゃん(現KEEP AWAY FROM CHILDREN)、天野、山田ら。

・出演はTHE LOCUST/Kulara/There is a light that never goes out/100lots/TOMORROW/ ISOLATION/alpha marrow/gang up on against/24inch

■炎天下の衝撃■
 僕らが炎天下GIGに出会ったのは、高校1年の秋だった。その当時炎天下GIG※1は、ほぼ月1で豊田市駅のロータリーで行われており、ジャップのコピーをしていた僕らは、友人の紹介で出させてもらう事になった。半年前まで坊主頭だった僕ら(ちなみにその当時岡崎市の公立中学校は男子坊主、女子はおかっぱ強制)にとって、モヒカン、スパイキーに鋲ジャンといった出で立ちが衝撃的だったのはもちろんだが、通行人が行き交う公共の場で、轟音でハードコアをやってしまうということが、何より驚きだった。「こういうのが出来るんだ!」眼からうろこが落ちた。

 その帰り「これを岡崎でもやりたい」とバンドのメンバーで盛り上がり、悩むより早く岡崎で野外ライブをやる事が決定したのだった。名前はGAUZEの影響で「限界」をつけたいというのが最初にあり、限界を「壊せ」→「破壊」(限界破壊じゃ語呂が悪い)→じゃあ似たようなニュアスで「破滅」にしよう、とかそんな感じで「限界破滅GIG」になった(と思う)。

■限界開始■
 記念すべき第1回限界破滅GIGは、1991年12月のとある日曜日、乙川沿いの河原で行われた。と言っても、今の限界のイメージとは程遠く、ホントに内輪ノリで、バンドで出るのも見てるのもみんな友達。20人から多くて30人ぐらいの人出だった。なんで河原かと言うと、「音楽の練習で使いたい」と市に申し出たら、結構簡単に許可が降りたからなのであった。

 まあ、繁華街から離れてて人通りの少ない立地てのもあったけど、あの頃はみんなトガってて(笑)眼をギラつかせていたので、とてもじゃないけど部外者を受け入れるような雰囲気ではなかった。一応康生(岡崎の中心市街地)とか駅前とかで宣伝するんだけど、半分威嚇みたいなもんで(笑)誰も来ないっつーの。でも、それはそれで楽しかった。

 機材はと言うと、あんま覚えてないんだけど、写真を見ると自宅練習用の2、30Wクラスのアンプを使っててビックリ(笑)。ドラムはどこで借りたか忘れたけど、ダイちゃんが豊田からお母さんに車で運んでもらったのは覚えてる。

■いざ!康生へ■
 そんなこんなで2回そこでやったんだけど、何か物足りなかった。ほとんど見向きもされず、認知されず、内輪ノリでこんなことを続けても刺激が足りない、シーンも全然盛り上がらないし、と思ったかどうかは定かではないが、僕らはもっと街なかに出て行く事を決心した。

 そこで白羽の矢が立ったのが現在も続いているシビコ裏だった。やはり市に許可を貰いに行ったのだが、シビコの土地であり市は関係ないとのこと。シビコに行ってもなんだかんだで許可貰えず。結局無許可でやることになるんだけど、これが結構勇気が要った。炎天下GIGでも警察沙汰はざらだし、ヤンキーの脅威もありながら、ダイちゃんの「やろう!できる。やるしかない!!」というツルの一声で、警察に捕まるぐらいがなんだ!ヤンキー上等!という妙な高揚感の中、第3回からはシビコ裏で決行。

 これに先立ち、さすがに来るとわかってる警察に無策で臨むのも何ナノで、苦情対策も兼ねて周りの商店をシラミ潰しに周り、音楽活動を認めてくれるようお願いし、許可するという旨の署名を書いてもらった。

 出演バンドはというと、始めた当初は3、4バンドしかないこともあり、いつもバンドにお願いをしてた。ジャンルはJap、USからハードロック、サイコビなど幅広かった。

 この辺りから、東岡崎駅近くの「タムタム」というスタジオで機材が借りられるようになった。ただ高校生の僕らには機材を運ぶ足が無かったので、原チャの後ろにリアカーをつけて運んだり、無免で車借りてきたりと若さ爆発。時を同じくして「ブラックエンペラー(地元のゾク)が限界のパンクを狙ってる」とか「ヤーさんが快く思ってないらしい」という嫌な噂が続出し(笑)、限界の日には会場の横をスモーク張った車の窓から顔出したヤンキーが威嚇して行ったりと、スリリングな日々が続くのであった。

 …とまあいろいろありながら、限界破滅GIGは1年半ぐらい月1ペースで続けていた。が、段々頻度が少なくなっていき、94年ごろに1度幕を閉じる。 その後、TOMORROW、STRIKE OUT、COUNT(R.I.P)のメンバー達により復活して今に至ります。上京してからというもの僕は全然現場に関わっていないけれど、昔から限界に出てるバンドが力をつけて次々レコードとかを出して有名になり、今では数百人の動員を誇るっていうのはすごい驚きです。そんで限界やると人がたくさん集まるから、周りのデパートとかで売上が上がるらしくて、お店の人に歓迎されているということを聞くと、なんか感慨深いものがあります。あとオフィシャルな見解かは分かりませんが、今回('99年11月7日のSender & Receiver GIG Vol.1のこと)河原をライブで使えないか役所の人と話してたら「ライブやるならシビコ裏があるじゃないか」と言われて、限界もだいぶ浸透してきたのかなと思う次第。

 でまあ、何が言いたかったかと言うと、こういうGIGの企画ってのはやるのは結構大変なんだけど、「やりたいからやる」っていう純粋な欲求に基づいて動いてみると、案外道が拓けるんだということです。役所がダメとかお金がかかるとか、いろんなハードルはあるんだけど、「それは無理でしょ」って思う自分の固定観念こそが一番の障害だったなあと振り返ってみて感じます。今回、身近にありながら全然その存在を知らなかった食楽茶屋で始めてライブを企画しますが、これからも変な枠にとらわれず、いろんな形でこういう場を作っていけたらと思います。

※1)現在も続いている。後のOrderやMartin's、Rotary Beginnersとなる面々の本拠地はこちら。LP「限界破滅&炎天下GIG Comp.」にて出身バンドが確認できる。