Keep away from children


4.Nice View
市の職員、警察の人らが帰っていくのを見届けると、堰を切ったかのようにNice Viewが始まった。ニューアルバム「Thirteen views with Nice View」をリリースしたばかりということもあり、いつにもましてがっちりとしたぶっとい演奏。それまでの緊張感が一気に解放されたかと思うと、今度は演奏する3人を中心に、それまでとはまた異質な緊張感に溢れた密度の濃い空間に豹変した。身体を動かすのも忘れ、食い入るように見ている人も多かった。


5.Moga the \5(大阪)
順番が入れ替わり、Moga。
久しぶりだった。アルバム「ハルカカナタ」を出してたくらいに見た以来なので、恐らく5年ぶり。もちろん新しいギターの人が加入してから見るのも初。
「(限界破滅GIGを)絶対に続けて行きましょう」というMCで始まり、一気に場に火をつける。
エスカルゴさんは風邪気味のようだったが、実に魂のこもったいい演奏だった。


6. KATIE KATTY(神戸)
3ピースのクラスティ・ギャル・バンド、Katie Katty。初見。
荒削りながら、勢いのある演奏。フェミニンと言うのかコケティッシュとか言うのがいいのかよくわからんが、女性であるという武器を嫌味なく前面に押し出しつつ、その見た目と音とのギャップもまたいい塩梅。ってコメントがオヤジくさくてすみません。


この時点で16:00を若干回るも、とりあえず音に配慮しつつ、行けるところまで行こうという言うことで続行。


7.YAS OIL THE WELLCARS
お次は元Martin'sのYas Oilことやっちん率いるYas Oil the Wellcars。
こちらも初めて。Punk Rock、ブルース、カントリーなんかが混ざって、豊田市という狂ったPunk cityで育った奴らの胃袋で消化されて出てきたのは、最高に土臭いロックンロール!メンバー全員キャラが立ってて、貫禄あるステージングでかっちょよかった。


8.Strike out
お馴染みStrike out。やっぱり久しぶりに見たけど、さらにパーティ・バンド感が増し、伊達にキャリア重ねてないなと思わせる、見事にツボを心得た演奏で皆を盛り上げる。


9.Keep away from children
始まる時点で17時を回っていたけど、なんとか再度の苦情はなかったようで、大トリKeep awayを迎える。みんなで大合唱。ダイちゃんがこのシビコ裏のこの場所で歌うのは、ほんとサマになる。一平ちゃんと二言三言交わし、限界が始まった当時のことをふと思い出して感慨に耽るのでした。


と言うわけで、なんとか出演予定の全てのバンドの演奏を終え、みんなでゴミを片づけて終了。
途中、亀島のヨシキが移動販売してたカレーライス、Strike outのチャーリーが勤める福祉施設で障害者の人たちが作っているクッキーを買って食べる。どちらも最高に旨かった。


後日談
次の日、市役所に行って市の職員の人と話す。
主催メンバーの尽力と、康生地区の商店会長(実に話のわかる人)の後見により、すっかり衰退中の中心市街活性という名目で市の了解を得て、限界破滅GIG14年あまりの歴史を経て初めて、正式な商店会の後援、市の間接的了承という形で限界を運営することに相成る。


(了)

amachin2005-07-27


14:50。
この時点で、新譜を出したばかりのみんな大好きNICE VIEW、この日の目玉MOGA the \5 from 大阪、同じくツアーバンドのKatie katty from 神戸が残っていた。地元の限界常連の地元バンドだけならまだしも、これらのバンドを残して即刻中止はあり得なかった。何としても食い下がらなければならない。

NICE VIEWは、新譜「Thirteen views with NICE VIEW」のScene #1〜3のような緊張感漲る即興演奏をして再開を煽る。広場のはずれで話し合う僕らにも、お客さんの高まる期待とじれったさが伝わってくる。


しかし、市の職員や警察の人には逆効果だった。
「ほら、こんな大きな音出して!すぐやめてもらわないと困るよ!!」
「市の人だって責任問題に発展して訴えられたらどうするの?」
「いくら長く続いてきたイベントでも周りに住んでいる人に迷惑かけてやるのは筋違いだよ。なんで近くにあるホールとかでやらないんだ?」
と畳み掛けてきた。とりあえずこの場が収まるまで音を下げるように伝言をお願いして、僕らは食い下がった。


まず、14年前に市に許可申請をしに行った時に、「市の土地ではない」と散々たらい回しにして責任回避していたのに、今さら責任云々を持ち出してくる不誠実さを訴え、今やすっかり活気を失ってしまったかつての繁華街・康生にかつての姿を取り戻すという僕らなりと大義を説いた。事実、数百人の動員を誇る限界破滅GIG以上に人を集めるイベントは他にない。誰でもアクセス可能な公共空間で行うフリーライブと、お金と関心で来る人を予め選別してしまうホールやライブハウスの有料ライブとは全く意味が違うし、近くのホールでやったらみんな車で来て駐車場に車停めて帰るだけで、康生に賑わいをもたらすことはできない。


そんなこんなで押し問答していたら、15時を過ぎた。都合30分以上中断していた。「もうやっちゃおうぜ」と不穏な空気を影のまとめ役・沢田くんがなだめすかしてくれていた。しかし僕らもさすがに痺れを切らして、「この行為は具体的にどの法律に抵触するんですか?」「全ての責任は僕ら負います。問題があるなら逮捕してもらって構いません。」と強気に出た。腹は決まっていた。背に腹は変えられない。やるしかなかった。
気圧されたのか警察の人が「じゃ、16時までってことでどうかね?」と折衷案を出してくれた。16時までならなんとか上記3バンドだけでもやりきることができる。完全勝利とはいかないまでも中止よりずっとマシだったので、渡りに船と飛びついて、渋る市の職員を一気に押し切った。


しかし既に15:10になっていた。


(もう少しつづく)

Comoleva、約2年ぶりにライブをします。

2005.07.18(月/祝)
【Sunsetboulevardレコ発ファイナル】
三軒茶屋Grapefruit Moon
[地図]http://www.grapefruit-moon.com/index01.html
open18:30 start19:00
adv/1500yen day/1800yen

  • THE SUNSETBOULEVARD
  • SECRETS
  • moi
  • Comoleva


なお、メキシコに発つのは8月8日に決まりました。
従ってComolevaはまた活動停止の憂き目に。
前売りは、comolev@hotmail.comまで。

amachin2005-07-06


閑話休題です。(限界レポ延ばしまくりですみません。>アンプロさん、ろいやん)

最近、ギターのオクターブチューニングのずれが気になっていたので(つまり弦開放でチューニングしてもハイフレットで音がずれる)、ネックの調整ほか、メンテナンスをしてもらいに出かけた。愛しのギターを持ち込んだのは原宿の松下工房。ギターと音に対して惜しみない情熱(あとお金も)を注いでいるウオZ先生に紹介してもらったところだ。

最初はトラスロッドの調整でネックのソリを直してもらえばいいかなと思ってたら、これが大間違い。
いろいろとガタが来てる箇所を指摘されてしまった。
まずはフレットの減り。これまで全く気に留めたこともなかったけど、かなりの減りっぷりらしい。これがオクターブチューニングが合わない原因その1。
その2はブリッジ(ギターのボディ側で弦をとめるパーツ)。僕のSG Jr.ちゃんのブリッジはテイルピースと一体になったもので、Tune-O-Maticみたいに1弦ずつオクターブを合わせるような可動式サドルはついていない(写真参照)。これがオクターブチューニングを狂わす主要因だった。
だったらブリッジ替えれば良いのだが、僕はそこで考え込んでしまった。まず頭をよぎったのが、「パーツ替えると音も変わるよ」という知人の一言。早速その真偽のほどを尋ねてみると、やはり可動部分が増えれば音の伝達をロスするポイントが増えるので、悪くなるかもしれないとのこと。うーむ。
ここで前から気になっていたヘッド裏に入っているヒビを見てもらうと、確かに何らかの処置をした方がいいけど、それほど致命傷でもないことがわかってほっと胸をなでおろす。
最後にネックとボディの接合部。ピックガードをはずすとセットネックの接合部が露わになるのだが、ほんの少しではあるが、浮きがあるとのこと。これも致命傷ではないにせよ、処置が必要そう。

逆にネックのソリはそれほどではなく、軽くロッドの調整してもらい、僕は松下工房を後にした。軽い病気かなと思ってたら、実は入院が必要な病だったのだが、僕らには十分なお金が、そして時間がなかった。
なんだかいつもは頼もしいと感じていた相棒が、実は慢性的な病気を患いながら頑張ってくれてたことを知り、複雑な心境だった。まあ、そりゃあそうだ。彼女(注:ギターのこと)は1965年生まれ。つまりもう四十路に突入してる。三十路を前にした僕ですら身体の衰えが激しいというのに、そんな自分を棚に上げて、かなり酷使していた。
帰り道はそっと抱きかかえるようにして帰った。とりあえず2週間後に大きなヤマがある。それまでイケるかい?

amachin2005-06-14


とりあえず僕とKEEPのダイちゃん、Strike outのテッちゃんの3人でその男性に歩み寄った。彼は開口一番「警察呼んだから!」と僕らに言った。いまだ怒り覚めやらずと言った感じで、その声は打ち震え、視点はどこか落ち着かない。「前回やったときに、岡崎市役所に連絡しなさいと言ってあるはずだ!」と続けて言った。
前回(2004年10月)僕は限界に行けなかったのだが、ダイちゃんからその旨を聞いていた。しかし、そこはダイちゃん、警察から渡された連絡先が書かれた紙をなくしてしまっていたのであった(笑)。
とにもかくにも、反対市民の急先鋒がわざわざ出張って来てくれたのだ。この人さえ落とせば活路が開けると思って、必死の説得工作が始まった。
程なく警察が2名到着して、男性も落ち着きを取り戻し始めた頃になって、僕らは大変な思い違いをしていたことに気が付いた。
この男性は、市の職員だったのだ。限界の会場、シビコ裏広場は実は市の土地であり、彼は管理者としての責務を背負って休日返上で現地確認にやってきて、管理者の権限でもって「即刻中止」を宣告したのだった。
警察は「管理者がこういう以上、ただちに解散しなさい」と、いつになく強い調子で続いた。
広場中央から不意に爆音が流れ出した。NICE VIEWの準備が完了したことを告げるものだった。

(つづく)

amachin2005-06-09


さて、もうなんだかんだで2週間ほど経過してしまったけれど、先日行われた限界破滅GIG(以下、限界)について書こうかと思う。


(限界破滅GIGって何?って人は、前の日記を参照して下さい。)


2005年5月29日(日)晴れ
本当はこの日の予定は僕が所属しているNPOのイベントでFIXされていた。
しかし、前回の限界で警察の対応が今までと違う強硬姿勢で、今回はちと面倒なことになりそうという情報を聞きつけて、いてもたってもいられなくなって限界を選択した。何を隠そう僕が今の道に進んだきっかけとなったのは、このGIGを高校生の時にいろんな大人と政治的な交渉をしながら切り開いた経験であって、限界が同じやり方で14年も続いていることは、何よりも大きな拠り所になっているのだ。その限界が危機だと聞いて、ほっておけるはずがなかった。

去年1年メキシコに行っていたブランクもあり、僕にとっては実に2年ぶりの限界破滅GIGだった。
早朝の高速バスに揺られ、岡崎・康生のシビコ裏についたのが正午前。ちょうどセッティングをしているところだった。まだ音も出す前から、どこで聞きつけたのか警察がバイクで見回りに来て、会場周辺の駐禁について警告をしていった。もちろん駐禁みたいなわかりやすい弱みは作らないということが周知徹底されているので、駐禁車両は関係者ではないと弁明しつつも、異常に早いタイミングの警察の登場に一堂危機感を強めたのであった。


今回のメンツは、

1. LOW NOISE TAPE
2. Dr. SNAFKIN
3. STILL YOU ALIVE (岐阜)
4. NICE VIEW
5. YAS OIL THE WELLCARS
6. KATIE KATTY(神戸)
7. KEEP AWAY FROM CHILDREN
8. MOGA THE \5 (大坂)
9. STRIKE OUT

(以上、演奏予定順)で、REALITY CRISISはメンバーの事情でキャンセルとなった。
1バンド減ったことと、客足の様子を見て、ゆっくり機材の準備を行い、始まったのは予定より1時間ほど押した13時だった。



1. LOW NOISE TAPE
最初は元SWING ARMのツヨシくんが在籍するLOW NOISE TAPE from豊橋。初めて見たが、SAが持っていたニュースクールっぽさはほとんどなく、渋めなミドルテンポな曲調にストロングスタイルのツインボーカルがのる。



2. STILL YOU ALIVE (岐阜)
次は当初の予定から1バンド繰り上がってSTILL YOU ALIVE。ボーカルの声質が王道を行く骨太なOiバンドでなかなかよかった。



3. Dr. SNAFKIN豊橋のベテランメロディックバンドで、さすがの貫禄あるステージング。MOGAとかWATER CLOSETあたりが好きな人には間違いない感じではないでしょうか。


しかし!ここで事件が起こった。
突然一人の中年男性が人垣を割って演奏中のベーシストの前に立ち、なにやらまくし立てるような口調で話し掛けた。
苦情を出していた近隣に住む男性がたまらず直接文句を言いに来たと思った僕らは、すかさずその男性に脇に来てもらって、話を聞く。が、かなり激高した様子で全く聞く耳ももたず、「警察に電話するから!」と言って乗ってきた車に篭もってしまった。
僕らは、とにかく事情を説明して理解を得ようと車から出てきた男性に折衝を試みた。

(つづく)

amachin2005-05-18


5月29日(日)、今年初めてとなる限界破滅GIGが開催される。
限界を始めたきっかけについて書いたテキストを、Looks like TomorrowというHPに載っけてもらってたんだけど、現在一時停止中のため、ここに再掲してみます。
長いんで興味のある人だけ読んでください。

  • 写真 MANIAC HIGH SENCE '98

限界破滅GIGことはじめ
【註】
・Sender & Reciever GIG Vol.1という’99/11/07に岡崎・食楽茶屋にて行われたライブの際に、ロカストツアー車がトラブった噂を聞きつけ、修理代の足しになればと急遽作ったZineに掲載した原稿。カンパしてくれた人にZineとパッチをプレゼントした。

・このライブは1回目のTHE LOCUST来日ツアーの岡崎公演の企画で、主に携わったのは一平ちゃん(現TEASI、OUT OF TOUCH)、ダイちゃん(現KEEP AWAY FROM CHILDREN)、天野、山田ら。

・出演はTHE LOCUST/Kulara/There is a light that never goes out/100lots/TOMORROW/ ISOLATION/alpha marrow/gang up on against/24inch

■炎天下の衝撃■
 僕らが炎天下GIGに出会ったのは、高校1年の秋だった。その当時炎天下GIG※1は、ほぼ月1で豊田市駅のロータリーで行われており、ジャップのコピーをしていた僕らは、友人の紹介で出させてもらう事になった。半年前まで坊主頭だった僕ら(ちなみにその当時岡崎市の公立中学校は男子坊主、女子はおかっぱ強制)にとって、モヒカン、スパイキーに鋲ジャンといった出で立ちが衝撃的だったのはもちろんだが、通行人が行き交う公共の場で、轟音でハードコアをやってしまうということが、何より驚きだった。「こういうのが出来るんだ!」眼からうろこが落ちた。

 その帰り「これを岡崎でもやりたい」とバンドのメンバーで盛り上がり、悩むより早く岡崎で野外ライブをやる事が決定したのだった。名前はGAUZEの影響で「限界」をつけたいというのが最初にあり、限界を「壊せ」→「破壊」(限界破壊じゃ語呂が悪い)→じゃあ似たようなニュアスで「破滅」にしよう、とかそんな感じで「限界破滅GIG」になった(と思う)。

■限界開始■
 記念すべき第1回限界破滅GIGは、1991年12月のとある日曜日、乙川沿いの河原で行われた。と言っても、今の限界のイメージとは程遠く、ホントに内輪ノリで、バンドで出るのも見てるのもみんな友達。20人から多くて30人ぐらいの人出だった。なんで河原かと言うと、「音楽の練習で使いたい」と市に申し出たら、結構簡単に許可が降りたからなのであった。

 まあ、繁華街から離れてて人通りの少ない立地てのもあったけど、あの頃はみんなトガってて(笑)眼をギラつかせていたので、とてもじゃないけど部外者を受け入れるような雰囲気ではなかった。一応康生(岡崎の中心市街地)とか駅前とかで宣伝するんだけど、半分威嚇みたいなもんで(笑)誰も来ないっつーの。でも、それはそれで楽しかった。

 機材はと言うと、あんま覚えてないんだけど、写真を見ると自宅練習用の2、30Wクラスのアンプを使っててビックリ(笑)。ドラムはどこで借りたか忘れたけど、ダイちゃんが豊田からお母さんに車で運んでもらったのは覚えてる。

■いざ!康生へ■
 そんなこんなで2回そこでやったんだけど、何か物足りなかった。ほとんど見向きもされず、認知されず、内輪ノリでこんなことを続けても刺激が足りない、シーンも全然盛り上がらないし、と思ったかどうかは定かではないが、僕らはもっと街なかに出て行く事を決心した。

 そこで白羽の矢が立ったのが現在も続いているシビコ裏だった。やはり市に許可を貰いに行ったのだが、シビコの土地であり市は関係ないとのこと。シビコに行ってもなんだかんだで許可貰えず。結局無許可でやることになるんだけど、これが結構勇気が要った。炎天下GIGでも警察沙汰はざらだし、ヤンキーの脅威もありながら、ダイちゃんの「やろう!できる。やるしかない!!」というツルの一声で、警察に捕まるぐらいがなんだ!ヤンキー上等!という妙な高揚感の中、第3回からはシビコ裏で決行。

 これに先立ち、さすがに来るとわかってる警察に無策で臨むのも何ナノで、苦情対策も兼ねて周りの商店をシラミ潰しに周り、音楽活動を認めてくれるようお願いし、許可するという旨の署名を書いてもらった。

 出演バンドはというと、始めた当初は3、4バンドしかないこともあり、いつもバンドにお願いをしてた。ジャンルはJap、USからハードロック、サイコビなど幅広かった。

 この辺りから、東岡崎駅近くの「タムタム」というスタジオで機材が借りられるようになった。ただ高校生の僕らには機材を運ぶ足が無かったので、原チャの後ろにリアカーをつけて運んだり、無免で車借りてきたりと若さ爆発。時を同じくして「ブラックエンペラー(地元のゾク)が限界のパンクを狙ってる」とか「ヤーさんが快く思ってないらしい」という嫌な噂が続出し(笑)、限界の日には会場の横をスモーク張った車の窓から顔出したヤンキーが威嚇して行ったりと、スリリングな日々が続くのであった。

 …とまあいろいろありながら、限界破滅GIGは1年半ぐらい月1ペースで続けていた。が、段々頻度が少なくなっていき、94年ごろに1度幕を閉じる。 その後、TOMORROW、STRIKE OUT、COUNT(R.I.P)のメンバー達により復活して今に至ります。上京してからというもの僕は全然現場に関わっていないけれど、昔から限界に出てるバンドが力をつけて次々レコードとかを出して有名になり、今では数百人の動員を誇るっていうのはすごい驚きです。そんで限界やると人がたくさん集まるから、周りのデパートとかで売上が上がるらしくて、お店の人に歓迎されているということを聞くと、なんか感慨深いものがあります。あとオフィシャルな見解かは分かりませんが、今回('99年11月7日のSender & Receiver GIG Vol.1のこと)河原をライブで使えないか役所の人と話してたら「ライブやるならシビコ裏があるじゃないか」と言われて、限界もだいぶ浸透してきたのかなと思う次第。

 でまあ、何が言いたかったかと言うと、こういうGIGの企画ってのはやるのは結構大変なんだけど、「やりたいからやる」っていう純粋な欲求に基づいて動いてみると、案外道が拓けるんだということです。役所がダメとかお金がかかるとか、いろんなハードルはあるんだけど、「それは無理でしょ」って思う自分の固定観念こそが一番の障害だったなあと振り返ってみて感じます。今回、身近にありながら全然その存在を知らなかった食楽茶屋で始めてライブを企画しますが、これからも変な枠にとらわれず、いろんな形でこういう場を作っていけたらと思います。

※1)現在も続いている。後のOrderやMartin's、Rotary Beginnersとなる面々の本拠地はこちら。LP「限界破滅&炎天下GIG Comp.」にて出身バンドが確認できる。